青函ステークス再び・・・

帰ってきた「青函ステークス」

6月24日の1回函館5日のメインで昨年に続いて「青函ステークス」が行われる。函館競馬のご当地レースとして1969年に創設され、1981年以降は芝1200mオープンとして定着していた特別競走だ。しかし、1997年に芝1000mに変更になり、1999年以降は中断されてしまった。2004年には芝1200mで復活したが、2年で中断され、2011年には準オープンの2000m戦に格下げされ実施されたが、以後また途絶えていた。

「青函ステークス」の変遷

そうしたさなか、「青函ステークス」の名の由来である青函連絡船青函トンネルへと変貌を遂げ、新幹線まで通ってしまった。そのせいか、「青函ステークス」のアイデンティティにゆらぎが出ていたことは間違いないだろう。

在りし日の青函連絡船(第二青函丸)

実はこの背景には、昔はオープン特別だった「UHB杯」と1997年から函館で行われるようになった芝1200m重賞「函館スプリントステークス」の存在がある。
由緒あるUHBの社杯である「UHB」杯は、2001年に芝1200mのオープン特別となり、「青函ステークス」の行われた2004年と2005年は1000万下に格下げ実施され、2006年からは再びオープン特別に復帰した。短い函館開催(今年は6週間、以前は8週間だった)で芝1200mオープン競走が3回は過多であるという判断によりこのような措置が取られたと思われるが、ファンから見れば混乱を招くだけなので避けてほしいものだ。(さらに事態を複雑にしているのが札幌で行われているオープン特別「UHB賞」だが、それについてはまた・・・)

「青函ステークス」の思い出

なにはともあれ、昨年に「青函ステークス」は芝1200mオープン特別として復活し、ことしも引き続き同条件で行われる。古くからのファンとしては、函館で「青函ステークス」が見られるのは良いものである。歴代の勝馬の中では、芝1800mの準オープン戦だった1978年の「メジロイーグル」は今でも記憶に残っている。稀代の逃げ馬で皐月賞4着、ダービー5着ののち、「青函ステークス」を勝ち、秋には菊花賞トライアルの京都新聞杯でダービー馬「サクラショウリ」を下し、菊花賞有馬記念をともに3着と惜しくも大レースは勝てなかったが、その小柄な馬体から繰り出すけれんみのない逃げは、多くのファンを魅了した。引退後、メジロ牧場種牡馬となり宝塚記念有馬記念を勝った「メジロパーマー」を出し、メジロステイヤーの血を後世に伝えた。

今年の「青函ステークス」
出走馬を見渡すと、思い切って逃げそうなのは牝馬の「マウンテンムスメ」あたりか?鮮やかな逃げで「メジロイーグル」を彷彿とさせてほしいものである。